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魔女の宅急便は宮崎駿企画ではなかった!裏情報 豆知識 [魔女の宅急便]

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魔女の宅急便の企画は宮崎駿ではなかった!裏情報/豆知識


魔女の宅急便 政策の経緯


・1985年(昭和60年)12月、
映画プロダクション『風土舎』が角野栄子の児童文学『魔女の宅急便』の長編アニメーション化の企画を立ち上げました。


1987年(昭和62年)春ごろ、風土舎とヤマト運輸は電通を通じて徳間書店に協力を申し込み、本作はスタジオジブリで制作されることとなった。

ここで初めてジブリの耳に入ったわけですね! 宮崎駿監督が企画したものと思われてますが、実はこうして依頼されたのでした。


風土舎は、「監督またはプロデューサーに宮崎駿か高畑勲を」との意向を示した。

『となりのトトロ』/『火垂るの墓』の同時制作を開始したばかりの頃でもあり、
当初は監督は『有望な若手を起用すること』とし、
監督は片渕須直を起用することになっていたが、スポンサー企業の意向をうけて降板
結局、宮崎駿が監督も務めることになった。

そして制作が進むうちに、当初の70〜80分の構想が100分を越える本格的長編となってしまったが、
長編アニメーション映画としては制作期間が短く、作画が困難な群集シーンも後半に多く、スタッフは非常に苦慮した。

音楽演出を高畑勲が受け持ったのも、宮崎駿監督に余裕がなくなったためである。



こうして我々が知る『魔女の宅急便』が出来上がった訳ですが、
トトロと火垂るの墓、魔女の宅急便と3作重なっていたんですね。

ジブリはすごい!!!





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